近江鉄道 近江鉄道多賀線

近江鉄道の近江鉄道多賀線をご存知ですか。
近江鉄道の近江鉄道多賀線について詳しく紹介します。

近江鉄道多賀線とは

近江鉄道多賀線(おうみてつどうたがせん)は、滋賀県彦根市の高宮駅から滋賀県犬上郡多賀町の多賀大社前駅までを結ぶ近江鉄道の鉄道路線である。多賀大社への参詣路線。彦根方面への通勤・通学路線でもある。

近江鉄道多賀線にはかつては住友セメントやキリンビール滋賀工場への引込み線があり、高宮駅にはこの中継のための貨物ヤードがあった。一部が本線の彦根駅や米原駅まで直通運転しているほかは、線内折返し運転で、220形電車の単行でワンマン運転を行っている。路線距離(営業キロ):2.5km。 多賀大社は「お多賀さん」と土地の人に呼ばれて親しまれているようです。古い大社だけに、全体にゆったりした雰囲気に包まれていました。多賀大社(たがたいしゃ)は、滋賀県犬上郡多賀町多賀に鎮座する神社である。式内社で、旧社格は官幣大社。現在は神社本庁の別表神社である。古くから「お多賀さん」として親しまれてきた。


多賀大社の由来

近江鉄道多賀線の多賀大社前にある多賀大社は伊邪那岐命、伊邪那美命を祀る。「お多賀杓子」と称し、お守りとして杓子を授ける慣わしがある。多賀大社の歴史は古く、『古事記』に「伊邪那岐大神は淡海の多賀に坐すなり」とあるのが多賀大社のことである。

延喜式神名帳に「近江国犬上郡
多何神社二座」と記載され、小社に列している。「二座」とあることから、この時代から伊邪那岐命・伊邪那美命二神が祀られていたことがわかる。社伝では、明応3年(1494年)、神宮寺として不動院(天台宗)が建立された。神宮寺配下の坊人が全国にお札を配って信仰を広め、中・近世には伊勢・熊野とともに庶民の参詣で賑わった。

「お伊勢参らばお多賀へ参れ
お伊勢お多賀の子でござる」「お伊勢七度熊野へ三度 お多賀さまへは月参り」との俗謡もある。近江国が交通の結節点だったことも、隆盛の理由であろう。なお俗謡にある「お多賀の子」とは、伊勢神宮祭神である天照大御神が、伊邪那岐命、伊邪那美命両神の御子であることを指す。多賀大社は特に長寿祈願の神として信仰された。

東大寺再建の事業を行っていた80歳の俊乗坊重源が、事業の成功祈願のため伊勢神宮に参籠していると、夢の中に天照大神が現れ「事業を成功するために寿命を延ばしたいのなら、多賀神に祈願せよ」と告げた。重源が多賀社に参拝すると、「莚」の字に虫が食った柏の葉が飛んできた。「莚」は「廿延」(廿は二十の意)と分解でき、「寿命が二十年延びる」と読める。20年後、重源は東大寺再建事業を成し遂げ、当社へのお礼参りのとき、境内の石(現在は「寿命石」と呼ばれる)に座り込むと、眠るように亡くなったという。

多賀線はどうして短いの!

多賀大社に豊臣秀吉が「3年、それがだめなら2年、せめて30日でも」と母の延命を祈願し、それが成就したとして1万石を寄進、社殿を造営した。境内の太鼓橋は「太閤橋」とも呼ばれる。

多賀大社は明治
4年(1871年)に県社兼郷社、明治18年(1885年)に官幣中社となり、大正3年(1914年)に官幣大社に昇格した。昭和22年、それまでの「多賀神社」から「多賀大社」に改称した。2002年(平成14年)から「平成の大造営」に取り掛かり、2005年現在、一部は竣工している。
多賀大社と近江鉄道のトピックですが、近江鉄道本線は、運行主系統が米原駅〜八日市駅〜近江八幡駅となった現在でも、米原駅〜貴生川駅(
JR草津線)が正式な区間である。これは同鉄道の創立時、多賀大社と何かと縁の深い伊勢神宮に向けて、官鉄(国鉄)の草津線・関西本線・参宮線等を介し結ぼうとした名残だといわれている。

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